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彩寺記

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2020/01/13 (Mon)



~門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし~ 一休宗純

一休さんで親しまれている一休宗純和尚が詠んだ歌です。

門松を飾り新年を迎えるお正月は、華やかでめでたい行事ですが、新年を迎えるということは、一つ歳を取り、一歩死に近づくということでもあります。
そう考えると「めでたくもあり めでたくもなし」という、少し複雑な気持ちになります。
浮かれてばかりいないで気を引き締めなさい、という一休和尚の戒めの言葉にも聞こえます。

子どもの頃は、毎年お正月が来るのを心待ちにしていたのを覚えています。
でも、大人になるにつれ、時間の流れが年々速く感じるようになり、焦りとともに新年を迎え、一年があっという間に過ぎていきます。
人生百年時代といわれていますが、気がつけば、人生もあっという間に終わるのかもしれません。

人は、寿命を終え、極楽浄土へ旅立つとき、この世のものは何一つ持っていくことはできません。
ただ一つ、身につけたお念仏の教えだけが心の杖となり、お浄土への旅立ちの手助けとなるのです。
今年も日々、お念仏生活を送っていきましょう。



2020/01/01 (Wed)



初めも善く 中も善く 終わりも善かれ
                  釈迦


善く死ぬことは
善く生きること

善く生きるとは
たった今を
大切にすること

感謝の心を持ち
懺悔の心を忘れず
自分のことより
他人のことを想うこと
2019/12/20 (Fri)


人生は出逢いと別れの繰り返しです。様々な出逢いと別れを経験します。

子どもの頃は出逢いが多かったのに、大人になるにつれて出逢いよりも別れの方が多くなっていることに、ふと気がついて寂しく感じるときがあります。
出逢いの数だけ別れがあり、別れの数だけ悲しみがあります。

お釈迦さまは「愛別離苦(愛する人と別れ離れなければならない苦しみ)」という苦があると説かれています。
大切な人といつまでも一緒にいたいとどんなに願っても、必ず別れの時が来ます。誰も避けることができない苦しみです。

しかし、法然上人はこの世で別れてもお浄土で再会するのだと、次の歌を詠まれています。
〈露の身は ここかしこにて消えぬとも こころはおなじ はなのうてなぞ〉

寒い朝。草の上に露ができます。太陽が昇ってくると露は蒸発し、一つまた一つ、空へ帰っていきます。同じように、私たち人間も寿命を終えて、一人また一人お浄土へ還って往きます。そして、お浄土の蓮の台(うてな)の上で再び出逢うのですよ、という歌です。

私たちは、はかない露の身。今あるご縁を大切にしながら日々を送りたいものです。

 

2019/12/01 (Sun)



比べて悲しむと 自己を見失う
比べて喜ぶと 他を傷つける


比べて得た幸せは
幸せではない

比べて感じた不幸は
不幸ではない

他人にとらわれず
自分だけを見つめたとき

煩いはなくなり
真実が見えてくる
2019/11/29 (Fri)
 

紅葉もピークを過ぎ、赤や黄に染まった葉が散り始めています。
当寺も、毎日夕方には、落葉で境内が赤や黄になります。
秋の終わりを感じます。


  



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