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彩寺記

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2020/12/09 (Wed)


私たちは日々何度も迷い、何度も決断を迫られ過ごしています。
小さな決断から人生を左右する大きな決断まで、様々な決断がやって来ます。

「人間は生きているかぎり迷う」という言葉もありますが、
お釈迦さまはどうだったのでしょう。
きっと迷うことはなかったのではないか、と思ってしまいますが、
実はお釈迦さまも迷うこともあったのです。

お釈迦さまは悟りを開かれた後、しばらく一人でその境地を楽しんでおられました。
そこへ梵天という神様から
「どうか、世の人々のために教えを説いてください」
とお願いされます。
しかし、お釈迦さまは躊躇(ちゅうちょ)されます。迷われたのです。
「人々に話しても理解してもらえないだろう」と。
その後、さらに梵天にお願いされて、お釈迦さまは法を説くことを決意されたのです。

“お釈迦さまも迷われる”と思うと、日々の迷いが少し軽くなる気がします。
そっちへ行くか、こっちへ行くか。
しっかり迷って、もし間違えた時は反省して次に生かす。
もしかすると、その繰り返しの中に、私たち凡夫の「さとり」が隠れているのかもしれません。

昨日、12月8日はお釈迦様がお悟りになられた成道会(じょうどうえ)の日です。
2020/12/01 (Tue)



牛、水を飲めば 乳となる
蛇、水を飲めば 毒となる


正しい教えが
すべての人々を
正しく導く
とは限らない

聞き手の
心の有り様や
縁によって

その教えは
悟りにも導き
迷いをも生む
2020/11/29 (Sun)


紅葉の見ごろも過ぎ、木々が葉を散らしています。
枝から落ちる葉を見ると、良寛和尚の句を思い出します。

~うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ~

病床にあった良寛和尚の看病をしていた弟子の貞心尼。
良寛和尚の死期が近いことを嘆いて次の句を詠みます。

~生き死にの さかいはなれて すむ身にも さらぬ別れの あるぞかなしき~
(生き死ににこだわらない出家の身でありながら、
 避けることができない別れがあることがまことに悲しい)

これを聞いた良寛和尚は、貞心尼にこの句をつぶやきます。

~うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ~
(裏も表もすべて見せて、自然に散っていくもみじのように、
 みんなこの世を去っていくのです…)

数日後、良寛和尚は貞心尼に看取られながら、お浄土へ旅立っていきます。

人は日々、良い面と悪い面をお互い見せあいながら生きています。
傷つけたり傷つけられたりすることもあります。
泣いたり笑ったり、生きていると日々色んなことが起こります。

そして最後は、もみじのように散って、お浄土へ旅立ちます。

この句を詠むと、私たちも大きな自然の一つなんだと気づかされます。

2020/11/20 (Fri)
   

境内の桜が紅葉し、散り始めています。
赤や黄に染まった葉が、境内を埋め尽くして綺麗です。


 
   

2020/11/14 (Sat)


当山では毎年11月14日に十夜会を勤めます。
十夜会は阿弥陀様の法恩に感謝をする法要です。
今年はコロナウィルス感染予防のため、檀家様にはお焼香だけしていただきました。

十夜会が終わると、秋が一段と深まっていくような気がします。
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